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日本IBM社内の量子コンピュータ勉強会は、もう5年の歴史。Qiskit Textbookの翻訳、解説動画の作成など活発に活動 ~TEC-JのWGメンバーを訪ねて❼

IBMが5量子ビットの量子コンピュータをクラウド公開したのは2016年。その翌年には「量子コンピュータ勉強会」が日本IBM社内に立ち上がり、それ以降、活発な活動を展開してきた。設立時からリーダーを務める今道貴司氏に話をうかがった。

今道 貴司 氏

日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所
リサーチ・スタッフ・メンバー

-- 今道さんは量子コンピュータにどこで出会ったのですか。

今道 2017年にブラジル(IBM)から3年間の任期を終えて帰国して、新しい研究プロジェクトを探している時でした。その前年(2016年6月)にIBMは5量子ビットの量子コンピュータをクラウドで公開し始めていたのですが、おもしろそうだなと思って個人的に勉強を始めました。そうこうするうちに私が所属する東京基礎研究所で量子コンピュータのグループを立ち上げることになって、メンバーとして参加することになりました(2017年)。それからはずっと量子コンピュータです。

-- 現在はどのような研究をしているのですか。

今道 QiskitというIBMが中心となって開発を進めている量子コンピュータ用ソフトウェア開発キットがありますが、その中のQiskit Optimizationという組合せ最適化を解くためのライブラリーの開発に、グローバルのリーダーとして関わっています。

-- IBMのロードマップ図(図表1)で言うと、「アルゴリズム開発者」レイヤーの「機械学習」「自然科学」「最適化」などが並ぶところですね。

今道 そうです。応用分野に近いところの開発です。Qiskitというのは量子コンピュータ用の開発フレームワークです。Qiskitを使って開発したプログラムを実行するときに、クラウド上のランタイムサービス(Qiskit Runtime)を利用すると、量子コンピュータに処理を行わせ、その結果をQiskit Runtimeが受け取り、さらにそれを基に量子コンピュータにリクエストを発行して処理を行わせるというような計算処理が可能になります。量子コンピュータと手元のコンピュータの間の往ったり来たりの遅延を大幅に削減する量子プログラミングが行えます。

図表1 IBM Quantumロードマップ(2022年)
図表1 IBM Quantumロードマップ(2022年)

-- ロードマップを見ると、ご担当のQiskit Optimizationの開発は2022年で1つの区切りがついていますが、2023年以降はどのようなフェーズに入るのですか。

今道 確かにロードマップでは区切りが付いていますが、アルゴリズム自体の開発は終わるものではないので、Qiskit Optimizationを含めてQiskitの開発は続いていきます。そのうえで2023年以降に考えられるのは、あくまでも私見ですが、新しい量子回路技術(注:ロードマップ図中の「動的回路」=Dynamic circuits)をベースにしたアルゴリズムの開発や、エラーコレクション(Error Correction、エラー訂正)やエラーミティゲーション(Error Mitigation、エラー低減)のレベルアップだろうと思います。量子コンピューティングの正確性の向上、いっそうの効率化へ向けた取り組みですね。

-- 今道さんは、Qiskitの研究・開発に携わる一方、TEC-Jで「量子コンピュータ勉強会」(以下、WG)を設立し、リーダーも務めておられます。このWGはどういう目的で設立したのですか。

今道 実はWGを設立したのは東京基礎研究所に量子コンピュータ・チームができる前で、当時すでに日本IBMの社内に“量子コンピュータを勉強したい”という機運が高まっていたのです。私のほうにもいくつか相談が寄せられていました。当時はIBM社内でも量子コンピュータの公式情報にアクセスできるのはごく限られた人で、情報も今ほど整理されていなかったのですね。それで、東京基礎研究所で量子コンピュータを専門にしているルディー・レイモンド(Rudy Raymond)さんと、量子コンピュータの勉強をサポートするWGを立ち上げようと話し合ってできたのが「量子コンピュータ勉強会」です。2017年のことですね。

-- もう5年の歴史があるのですね。

今道 月に1回、月例の勉強会をずっと続けてきています。最初の頃は週1回の意見交換会もやっていました。月例の勉強会は、メンバー個々の最近の勉強の成果などを自由に発表してもらうのが中心です(図表2)。そのほかには、英語版Qiskit Textbookの翻訳やQiskit Textbookの解説動画シリーズの制作とYouTubeへの掲載があり、社内外の量子関連イベントの実施や日本語Slackチャネルの開設・運営なども行っています。

図表2 月例の社内勉強会
図表2 月例の社内勉強会

-- Qiskit Textbookの日本語訳は大きな取り組みですね。

今道 Qiskit Textbookは勉強会のテキストとして使っていたのですが、勉強するうえで非常に重要なリソースなので、勉強のついでに翻訳し、それをWebで公開しようとなりました。全9章を18人で手分けして翻訳し、2021年3月に全文を公開しています(図表3)。そして日本語版の翻訳に目途がついたところで、せっかくだから解説動画も作りましょうとなったのが、YouTubeにアップしている「Qiskit Textbook解説動画」シリーズです(図表4)。難しい部分もなかにはあるので、翻訳を担当した人が理解した範囲で紹介する形を取っています。

図表3 Qiskit Textbook日本語版 目次
     図表3 Qiskit Textbook日本語版 目次
図表4-1 Qiskit Textbook日本語解説動画シリーズの一画面(YouTube)
図表4-1 Qiskit Textbook日本語解説動画シリーズの一画面(YouTube)
図表4-2 Qiskit Textbook日本語解説動画シリーズ(一部) YouTube
図表4-2 Qiskit Textbook日本語解説動画シリーズ(一部) YouTube

量子コンピュータは、ふだん使っているコンピュータと仕組みがまったく異なるので、直感的に理解しにくい部分がたくさんあります。「量子重ね合わせ」の説明を聞いただけで混乱するという人も少なくないだろうと思います。Qiskit Textbookは大学の補足教材用として作られたものなので、それ自体やさしいというものではありません。そう考えると、WGメンバーによる解説動画は勉強している人の目線で読み解いた、量子コンピュータのわかりやすい紹介になっているのではないかと思います。

-- 社内外のイベントも活発ですね。

今道 2020年は開発者向けと教育イベントを計11回、2021年は計6回開催しました(図表5)。量子コンピュータ勉強会は、最新技術の探究もさることながら、量子コンピュータの理解者の裾野を広げ、Qiskitのコード開発などに貢献してくださる人を増やすのも目標ですから、イベントにも積極的に取り組んでいます。将来を見据えて、中高生向け、ファミリー向けのイベントなどもやっています。

図表5 IIBM社外向けの活動
図表5 IBM社外向けの活動

-- 2021年の活動成果を挙げていただくと、どうなりますか。

今道 ここまでお話してきたことを幅広く行えたのが成果ですが、WGから「Qiskit Adovocate」という資格保持者を2人輩出できたのと、5人のメンバーが「IBM Quantum Developer Certification」資格を取得しました。これも大きな成果でした。Qiskit Adovocateは、Qiskitのコード開発に貢献できる技術レベルをもつ人で、日本IBMではまだ十数人しか認定を受けていません。私はその中の1人にメンターとしてつき、Qiskitのコード開発に貢献してもらうことができました。それとメンバーの中村(悠馬)さんが書いた2本の記事が社内の「External Technical Writing Award 2020 – Next Gen Award」を受賞したことも、とてもうれしい成果でした。

-- 2022年の活動目標は何に置いていますか。

今道 月例の勉強会は従来どおり継続しますが、そのうえで外向けの発信を増やしていきたいと思っています。それと、これまで一緒にやってきたメンバーの一部がキンドリルへ移籍しましたので、そうした人たちとも一緒にやっていけるオープンなプラットフォームを整備したいとも考えています。外部の方たちとつながるチャネルとしてはQiskitの日本語版Slackを運営していますが、もう少し幅広くいろいろな人に参加してもらえるような仕組みを考えています。

-- 話題は変わりますが、企業内研究者のアドバンテージとディスアドバンテージについて、今道さんはどう考えていますか。

今道 ごく個人的な感想になりますが、量子コンピュータの研究をやるうえではIBMに所属していることが大きなアドバンテージだと思っています。この理由には2つあって、1つは実機の量子コンピュータにいつでもアクセスでき利用できること、もう1つは周囲に非常に優秀な研究者がたくさんいて、たえず刺激や啓発をもらえるということです。数年前に同僚と執筆した論文のアイデアも、元はと言えばニューヨークの量子コンピュータ・チームの人のサジェスチョンから始まっています。

一方のディスアドバンテージについては、大学時代を思い返すと、当時は研究の途中の成果や悩み事をふつうに周囲に話していました。しかし企業内の研究者となると、社外の人に話すことはセーブがかかります。そこは少しディスアドバンテージと言えるかもしれません。

しかし何と言っても、世界最先端の量子コンピュータがすぐ近くにあって、その最先端を切り拓いている研究者たちと一緒に仕事できるわけですから、これに勝るものはありませんね。

-- 素朴な質問ですが、量子コンピュータはいつ頃実用化されるのでしょうか。

今道 その質問は、ついこの間も東京研究所への就職を検討している学生にされましたが、それにお答えするのはきわめて困難ですね。克服すべきテーマが多々あり、それの1つ1つが相互に関係し合って進んでいくので、実際を見通すのはとても難しいと感じています。しかし研究者の立場で言えば、難しいコンピュータほど研究のしがいがあると言えます。じゃじゃ馬のほうが、おとなしい馬を乗りこなすのよりも面白いという感じですね。

 


今道 貴司 氏

日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所
リサーチ・スタッフ・メンバー

2009年に京都大学の博士後期課程修了。博士(情報学)。専門は組合せ最適化。2010年に日本IBMに入社、2014年からブラジルIBMに赴任。2017年に日本IBMに帰任し、量子コンピューターのプロジェクトに従事。変分量子アルゴリズムの高速化の研究やQiskitの開発などに従事。TEC-J量子コンピュータ勉強会のリーダーとして社内の量子人材の育成にも取り組んでいる。 

*本記事は話し手個人の見解であり、IBMの立場、戦略、意見を代表するものではありません。


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