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東京電力が挑むデザインシンキング|「働きがい」を高めるために 明日からできることは何か

Part 1 東京電力が挑むデザインシンキング

「働きがい」を高めるために明日からできることは何か
デジタル化推進の起点として、デザインシンキングを全社に展開

本特集では、東京電力が取り組んだデザインシンキング・ワークショップに密着。人事労務系の業務に従事する社員たちが、働きがいのある環境を目標に、すぐに着手できるアクションの創出を目指して、デザインシンキングにより答えを導き出した2日間の様子を詳細にレポートする。

 

 

デジタル化推進の起点に
デザインシンキングを位置づける

3月23日・24日の2日間、日本IBM本社の7階にあるIBM Studiosに、東京電力の社員12名が集まり、デザインシンキングのワークショップに参加した。

IBM Studiosは、「IBMデザインキャンプ」と呼ばれるワークショップを実施するために設計されたスペースである。集まった社員たちはほとんどが初対面。勤務時とは異なるカジュアルウェアに身を包み、お互い熱心に言葉を交わす。

IBMのファシリテータの進行とともに、ときに考え込み、ときに楽しげな笑い声を響かせながら、手にしたポストイットを壁面の可動式ボードに貼っていく。白い壁は、まるで色とりどりの花が咲いたかのように、カラフルなポストイットで埋め尽くされていく。

東京電力が全社へデザインシンキングを展開し始めたのは、2016年9月のことである。推進部署となったのは、東京電力ホールディングスの経営技術戦略研究所 研究総括室 オープンイノベーション推進グループだ。

同グループでは、全社のデジタル化推進を掲げ、データ活用で新しい価値を生み出すことを目標に、デジタライゼーションの取り組みを進めている。

「しかし実際にどのようなデジタル化が可能なのか、明確かつ具体的なアイディアが不足していました。そこでスピード重視とオープン、コ・クリエーションを軸に、まずはデジタル化の実現に向けた大量のアイディアを創出しようと考えました。グループ内の各社・各部署から、普段はいっしょに仕事をしないような社員たちが集まり、デジタル化に向けたアイディアを出す。その手法として、IBMのデザインシンキングを採用しました」と語るのは、富田沙希氏(経営技術戦略研究所 研究総括室 オープンイノベーション推進グループ 兼 技術・環境戦略ユニット技術統括室)である。

 

富田沙希氏

経営技術戦略研究所 研究総括室
オープンイノベーション推進グループ 兼
技術・環境戦略ユニット技術統括室

デジタル化の起点として、デザインシンキングを位置づけた同グループでは2016年度の1年間で、1000のアイディア創出を目標に掲げた。さらに個々のアイディアに対して、数カ月程度の短期間でPoC(Proof of Concept)による検証を実施。実現性と効果を見極め、プロトタイプ構築へ展開し、早期にサービス化・ビジネス化を図ろうと考えた(図表1)。

 

【図表1】デザインシンキングへの全体アプローチ

 

 

この計画に沿って、2016年10月からの半年間で、新サービスの立案から労務管理まで、多様なテーマに沿った合計12回のデザインキャンプを実施している。1カ月に2回の頻度で、参加した社員数は延べ184名に上る。

そして2016年度最後となる12回目のワークショップが開催されたのが、3月23日・24日の両日であった。

 

ワクワクしながら働くために
明日からできることは何か

12回目のワークショップ開催の主管部署となったのは、東京電力ホールディングスの経営企画ユニット 組織・労務人事室である。今回のテーマは、「ワクワクしながら働くために、明日からできることは何か」。

「生産性向上×倫理感×働きがい」の着想から、社員がワクワクしながら働けばプラス思考が高まり、個人の生産性効率が向上する。働きがいを上げることにより、時間外労働を削減しようという狙いである。

この背景には、毎年東電グループが実施している社員意識調査の結果がある。この調査にある「働きがい」の数値が、前回の値に対し、今回は減少してしまった。「働きがい」に関する数値は、東日本大震災の直後に大きく数値を下げたものの、ここ数年は上昇傾向にあったので、これは予想外の結果として受け止められた。

東京電力を取り巻く事業環境は、大きな変革の時を迎えている。2016年4月には、東京電力ホールディングスを軸に、東京電力フュエル&パワー、東京電力パワーグリッド、東京電力エナジーパートナーという3つの基幹事業会社への分社化を果たした。

電力小売市場の全面自由化に加え、2017年度からは都市ガス小売市場の全面自由化が始まった。こうしたなか、引き続き福島第一原子力発電所(以下、福島第一)事故の責任を果たすとともに、東京電力の商品・サービスを拡充していくために、各基幹事業会社が、それぞれの特性に応じた最適な事業戦略を機動的に適用することが不可欠との判断で、電力会社としていち早くホールディングカンパニー制に移行したのである。

事業環境の変化、そして分社化の動きに伴って、社員の意識も変えていかねばならないが、では実際にどうすればそれができるのか。

「今回のワークショップには、アイディア創出のほかにも2つの狙いがあります。1つは、企業の慣習や風土で凝り固まった思考をほぐし、新しい考え方を身につけること。いつもと違う環境で、知らないメンバーたちと会話しながら、日ごろの思考方法から脱却して新しいアイディアを創出するには、デザインシンキングの手法が効果的であると判断しました」と語るのは、今回の企画立案者である佐藤潤子課長(渉外・広報ユニット 広報室 兼 経営企画ユニット 組織・労務人事室)である。

 

佐藤潤子 氏

渉外・広報ユニット 広報室 兼
経営企画ユニット 組織・労務人事室
課長

今回のデザインキャンプには、東京電力ホールディングスと、基幹事業会社である東京電力エナジーパートナーで、人事労務系の業務に携わる社員たちが参加している。

佐藤氏は続けて、こう指摘する。

「もう1つの狙いは、社員の働きがいや幸福度を意識し、現状を変えていこうと考えることのできるキーパーソンを育てていくことです。もともとデザインシンキングはデジタル化の起点として導入しましたが、回を重ねるごとに、草の根的に社員の意識や考え方が少しずつ変わっていくという副次効果があることを確認しています。東京電力の社員たちは変わろうとしていますし、変わらねばなりません。社員の意識を変えていくためには、デザインシンキングの手法は有効であると認識しています」

東電グループでは現在、生産性向上を目指し、業務の見直しを進めている。しかし「やらされ感」があると、どうしても生産性向上のサイクルの定着化には結びつきにくい。「ワクワクしながら働く」という言葉が示すように、個人の意識や感情をポジティブに変えるアプローチが、永続的な生産性向上をもたらす。その認識が、今回のワークショップのテーマ設定に結びついたようだ。

「お客様へよりよいサービスを提供し、福島の皆様への責任を果たすためにも、社員1人1人がやりがいをもって働く必要があると考えています」(佐藤氏)

 

理屈ではなく感情で
HowではなくWowで考える

デザインシンキングは、観察から洞察を得て、仮説を作り、肉付けし、そこからプロトタイプを作り、検証し、試行錯誤を繰り返して改善を重ねながらモノ(製品、サービス、環境、仕組みなど)を創り出すプロセスである。

IBMのデザインシンキングは、一般に確立された「理解・探求・プロトタイプ・評価」というデザインシンキングのフレームワークに加え、IBM自身が自社の組織に適用・実践したことで得た独自のノウハウを反映している(図表2)。その特徴は、「目標の丘」「プレイバック」「スポンサーユーザー」の3つにある。

 

【図表2】IBMのデザインシンキング

 

目標の丘は、対象人物の体験がどのように変わるのか、何が実現するのかというコンセプトを明確な言葉で定義し、チームの認識を統一することである。デザインキャンプでは、両日のそれぞれ最終フェーズに、「目標の丘を作る」という作業が実施される。

目標の丘は、Who(特定の人物)、What(可能にすべき特定の何か)、Wow(心を躍らせるモノ・コト)の3つの要素で構成される。デザインシンキングでは、「人を動かすのは理屈ではなく感情である」という認識に沿っており、Howではなく、Wowであることが重要なポイントとなる。

次にプレイバックは、目標の丘に向かって進んでいるか、チームメンバー(ときにはステークホルダーやユーザーらも)が発表し、皆で確認する。下記の図には記していないが、各作業が終了するたびに、チームの誰かが代表してその場の全員に結果や成果を発表し、質疑応答などで確認する。これがプレイバックである。

そしてスポンサーユーザーは、ペルソナに近い実在の人物をプロジェクトに参加させることである。想像で導き出した解決策やニーズと現実とのギャップを埋め、解決策の有効性を確認していく作業となる。

対象人物をペルソナとして
どこまでリアルに描くかが鍵

デザインキャンプでは、大きく「理解する」「探求する」「物語・プロトタイプを作る」というプロセスで進み、各ステップで「評価する」という作業が入る。

重要なのは対象の人物像に入り込み、彼・彼女に共感し、喜びや悩みを発見することである。

最初のステップとして、対象となる人物像をペルソナとして肉付けし、共感し、その人物になりきって解決すべき課題を明らかにしていく。ペルソナをどこまで正確に、かつリアリティをもって描けるかが、成否のポイントの1つになる。

ここでは「共感マップ」そして「現状シナリオ・マップ」などの道具立てを使用し、対象人物の発言や行動、思考や感情への理解を深めていく。そしてこの人物が抱える喜びや悩みなどを浮き上がらせ、解決すべき課題を明確化していく。

これが「理解する」のフェーズである。今回は2チームのそれぞれに、対象人物像が与えられた(図表3)。そのうえで、ワクワクしながら働いてもらいたい2人の架空の社員として、福島第一に単身赴任している相馬満(33歳)さん、定年後の再雇用社員として働く望月則夫(58歳)さんという名前と年齢が決まった。そして業務や家庭環境、行動や感情を肉付けし、彼らに共感しつつ、「ワクワクしながら働くこと」を阻害している要因や困りごとを探っていく。

 

【図表3】検討テーマと対象人物

 

たとえば相馬さんであれば、単身赴任で家族と会えない寂しさ、職場である福島第一へ会社のバスで同僚ばかりと出勤する際の窮屈さ、いくら仕事をしても認められない閉塞感など。また望月さんであれば、自分が培ってきた技術やスキルを後進にどう継承すればよいかというもどかしさ、定年後の生活に対する希望と不安、生活の折々で感じる自らの老いと体力のなさ、などが具体的な言葉で表現されていく。

次に、それらを解決するためのアイディアを探す。これが「探求する」である。

これらのアイディアは、明日からでも実現できそうな簡単なものから、「大胆不敵」「突拍子もない」「荒唐無稽」「夢物語」まで何でもよい。ゲームやソーシャルの要素を入れた場合、あるいは対象人物が幸福を感じる瞬間、など多様な視点・角度で繰り返しアイディアを出していく。ファシリテータはどんな(おかしな)考えでも絶対に否定せず、相馬さんと望月さんの2人が、どうなればもっと幸せに仕事ができるか、次々にアイディア創出を導いていく。

大量のアイディアが出揃ったところで、各自が5枚のシールを手に、どのアイディアがよいか投票する。さらにその投票結果をもとに、重要性と実現可能性という2軸のグラフに配置し、上位3つのアイディアを選んで次に進む。

ワークショップではこのように、各フェーズで、大量のアイディアを放出する「発散」と、評価(投票)と優先順位づけでアイディアを選定する「収束」を繰り返し、次第に解決策を絞り込んでいくことになる。

 

デジタル化推進に向け
3000のアイディアを創出

次のステップは、「物語を作る」「プロトタイプを作る」である。選定したアイディアは対象人物にとって、本当に価値のある解決策であるかを、ストーリーボードを作って具体的に検証する(6枚のポストイットにマンガ形式で、起承転結の物語として書き起こす)。

そして実際に全員でその物語を寸劇(スキット)として演じるという手法で、一連の顧客体験を自らの体と言葉で検証していく。短い時間の寸劇ではあるが、ポストイットで言葉を書き連ねていくよりも、さらに現実感を伴った検証が可能になるわけだ。

最後は目標の丘を、前日より具体的に定義し、「仮定と質問」で不明な点を探っていき、さらに「今すぐ取り組めること」は何かを考えていく。

どれだけ奇想天外な、かつ実現不能なアイディアが出ようとも、それが刺激となって別のアイディアが生まれ、最終的には明日のアクションにつなげていけそうな実現可能性のある施策に絞られていく。

東電グループでは、合計12回のワークショップにより、当初の想定を大きく超えた約3000のアイディアを創出した。IoTによる施設管理やドローンによる設備監視など、さまざまなアイディアが提示されているので、現在はそれらをスクリーニングし、各部署と協力しながら、実現に向けてプロジェクトを進めている。

同グループでは、2017年度もデザインシンキングの全社展開を予定しており、今後は、この新たな思考方法の普及と定着に取り組んでいく計画である。

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IS magazine No.15(2017年4月)掲載