IBMデザインシンキング|ユーザーとしての自らの体験を手法の改善に反映する

デザインシンキングとアジャイル開発を融合し、アイディアを形に

Part1で紹介した東京電力のワークショップには、自らデザイン文化の普及に取り組んだIBMの経験とノウハウが色濃く反映されている。ここではアジャイル開発と融合させてアイディアを実際の形にする、IBMデザインシンキングの特徴と強みをあらためて解説しよう。

 

デザイン文化を
全社に根づかせるために

バージニア(ジニー)・M・ロメッティ氏はIBMのCEOに就任した2012年1月、「コグニティブ」という言葉で新しいコンピューティング時代の到来を示唆するとともに、「卓越した顧客体験(クライアント・エクスペリエンス)の創出こそが、IBMのビジネスを成長させる鍵である」と語った。このメッセージを受け、IBMデザインの責任者に任命されたフィル・ギルバート氏が先頭に立ち、IBMは2012年から全社にデザイン文化を根づかせる努力を続けてきた。

一般にデザインシンキングとは、「人」「現場」の洞察に基づき、新しい体験イノベーションを起こすことを目的にした、多様性のあるチームの「共創」のためのフレームワークとして定義されている。

顧客やユーザーに共感し、彼らが抱えている言葉にならない思いや困りごとを理解し、解決のためのさまざまなアイディアを発想・検証し、潜在的なニーズを形にする。そしてその観察・洞察・創作のループを、絶え間なく繰り返していく。IBMは自社での実践に際し、一般のデザインシンキングに独自の工夫を加えたフレームワークを、「IBMデザインシンキング」として定義した。これは日々の実践のなかで進化しており、現在はバージョン2がリリースされている。

「デザイン」をキーワードに企業文化を変革すべく、IBMは米オースティンを皮切りに、多様なバックグラウンドの人材がIBMデザインシンキングを活用し、協働・共創するスペースとして「IBM Studios」を全世界の拠点に展開する。

デザイナー、エンジニア、戦略コンサルタントがチームとなり、顧客と共創ワークショップを実施するほか、バッジ制度(認定制度)による「デザインシンカー(Design Thinker)」の社内育成にも注力してきた。

この制度には、4種類の認定資格(バッジ)がある。

まず、IBMデザインシンキングの講習を受けると認められる「プラクショナー」、ワークショップのファシリテータを務められる「コーチ」、ファシリテーションを含めデザインシンキングの体験全体を設計できる「リーダー」、そして最上位に位置する「マスター」である。

非デザイナーを中心に、10万人近くの社員が何らかのIBMデザインシンキング教育を受け、デザインシンカーとして日々のさまざまな業務で実践している。

またIBMデザインシンキング推進を担い、従来のデザイン業務を遂行する人材として、デザイナーを積極的に採用する動きも見られる。従来、IBMにおけるデザイナーとエンジニアの比率は「1:33」であったが、これを「1:8」にすべく、2012時点で300名程度であったデザイナーを、2017年には1500名程度にまで増やす計画である。

日本IBMでも毎年1000名単位で、社員がオンライン講座を受講しているほか、コンサルティング部門の中途採用社員の研修には必ずIBMデザインシンキングの講座を組み入れ、要望があれば営業部門などチーム単位でのワークショップを開催している。

こうした企業文化の変革が進むなか、IBMではIBMデザインシンキングの実践から、すでに70以上の製品やサービスが生まれている。普及の初期には、デザインシンキングを前提に進める8つの「シグニチャープロジェクト」を戦略的に推進し、ここから「IBM Bluemix」(以下、Bluemix)や「IBM Verse」など、現在のIBMビジネスを支える製品やサービスが誕生している。

現在では、「ホールマークプログラム」制度により、IBMデザインシンキングを活用し、ユーザーに着目してプロジェクトを推進したいプロダクト開発チームが手を挙げることにより、IBMデザインシンキングのチームへのトレーニングやデザイナー派遣の支援を受けられる環境が整っている。

 

自らユーザーとして
取り組んだ経験を手法に反映させる

IBMがサービス&コンサルティングの中心に位置づけるIBMデザインシンキングはこのように、ここ数年、IBM自身がユーザーとして取り組んできた経験とノウハウが色濃く反映されている(図表1)。

 

【図表1】IBMデザインシンキング

コンサルティングやアプリケーション開発を行う部隊、グローバル・ビジネス・サービス事業本部のインタラクティブ・エクスペリエンスチームでは、IBMデザインシンキングに関する多数の実績を積み重ねてきた。モバイルの活用方法、新たな製品やサービスの企画立案から、基幹システムの刷新、あるいは今回の東京電力のように労務管理面の課題解決など、取り組むテーマは企業によってさまざまであるが(図表2)、その中心となるのはエンドユーザーや社員、ビジネスパートナーなどの「人」と、そのよりよい体験づくりである。

 

【図表2】IBMデザインシンキングの実践テーマ例


日本IBMにおける、IBMデザインシンキング推進リーダーであるアソシエイト・パートナーの長尾政明氏(グローバル・ビジネス・サービス事業本部 インタラクティブ・エクスペリエンス事業 クリエイティブ&デザインリーダー。IBMデザインシンキング認定リーダー)は、IBM デザインシンキングの強みについて、こう指摘する。

「強みは大きく2つあります。1つはIBM自身がIBMデザインシンキングを社内に普及させる過程で体験してきたさまざまな成果や失敗、教訓などを反映して手法を進化させていることです」

 

長尾政明氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバル・ビジネス・サービス事業本部
インタラクティブ・エクスペリエンス事業
クリエイティブ&デザインリーダー
IBMデザインシンキング認定リーダー

自らが体験したからこそ、デザインシンキングを有効に取り入れるポイントを理解できる。たとえばデザインシンキングでは、「Fail First、Fail Often、and Learn」という言葉が象徴するように、「早くに何度も失敗することで学ぶ」ことが尊重される(それにより、後工程で間違えるリスクを減らす)。

「つまり、間違いや失敗を許すカルチャーをいかに醸成していくかがポイントになります。このあたりは上司やマネジメントの理解がぜひ必要であり、失敗を繰り返すことに対する、ある種の『がまん強さ』が求められます」と語る長尾氏は、さらにもう1つの強みとして、こう指摘する。

「IBMデザインシンキングとアジャイル開発を融合し、IBMのテクノロジーやサービスを使って、創出されたアイディアを実際の形に落とし込む。ITベンダーとして多様なノウハウを有するIBMだからこそ、実現できる強みでしょう」

IBMデザインシンキングと
アジャイル開発を融合

IBMデザインシンキングとアジャイル開発を融合し、アイディアを形にする(図表3)。それをより明確な形で目指したサービスが、2016年5月にアナウンスされ、翌月からサービスを開始した「IBM Bluemix Garage」(以下、Garage)である。

 

【図表3】デザインシンキングとアジャイル開発の融合

このサービスは、時系列に沿って大きく3つのメニューで構成されている(図表4)。

 

【図表4】IBM Bluemix Garageのメニュー

 

最初に提供されるのが、「IBMデザインシンキングワークショップ」(2?5日間)。前述した手法で、ユーザーに共感し、課題を抽出し、解決のアイディアを創出するためのワークショップである。

次に実施されるのが、「MVP(Minimum Viable Product)ビルドアップ」(4?12週間)で、アイディアの検証を目的にしたサービスである。デザインシンキングで導き出されたアイディアに対し、Bluemixを使って、最低限の機能を備えたアプリケーション(VMP)をプロトタイプとして構築する。

ここでは実際のUXの開発やアプリケーション画面の流れをまとめるフレームワーク設計、プロトタイプ開発、ユーザーテストなどを実施し、「実際に動くもの」を作る。

そして最終フェーズが、「ガレージトランスフォーメーション」(12週間?)。これは本番稼働が可能なアプリケーションの構築とデザインシンキングを継続させるための環境づくりを支援するサービスである。実用アプリケーションの開発、Bluemixを活用した構築、既存システムとのAPI接続、本番環境への実装を含む。ただし開発作業やデザインシンキング推進の主体はあくまでユーザー側にあり、IBMは顧客が組織としてそれを継続・実行できるようにサポートしていく。

Garageにはこうした基本メニューが用意されているが、ユーザーの目的や状況に応じて、メニューのカスタマイズが可能である。現時点では、デザインシンキングのワークショップとMVPビルドアップの2つを実施する例が多いようだが、今後はさらにトランスフォーメーションへと進んでいく事例も出てくるであろう。

このサービスを提供するソフトウェア&システム開発研究所 クラウドテクノロジーの中鹿秀明部長は、次のように語る。

「Garageの強みは、MVPビルドアップの価値と、それを支えるBluemixの存在にあります。どんなに優れたアイディアでも、実際に作る環境や技術が揃わないと、機能の乏しい、アイディアのイメージからかけ離れたもの、ときには紙芝居に近いものしか実現できません。さらに本番アプリケーションを構築する段階になって、アプリケーションアーキテクチャを再検討することになる可能性もあります。しかしGarageなら、たとえ最小限のメニューや機能であっても、アイディアどおりに、実際に動くプロトタイプを作れます。さらに本番アプリケーションの構築フェーズに進む場合も、BluemixであればDBからWatsonまであらゆるサービス、APIを提供しており、アーキテクチャの構成要素がすべて存在しているので新たに環境を作る必要はありません。プロトタイプを作成した環境を、そのまま本番動作が可能な開発環境へ移行できるわけです。MVPビルドアップの段階から、IBMのアーキテクトが参画し、アーキテクチャのデザインを支援していける点も、Garageの大きな特徴と言えるでしょう」

 

中鹿 秀明 氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
ソフトウェア&システム開発研究所
クラウドテクノロジー 部長

 

デザインシンキングの後続にある開発作業をBluemixで支援できる。実際、Garageを利用したユーザーからは、「実際に動くものをすぐに見られる効果は大きく、社内ユーザーの理解を得るうえでも、先に進む大きな推進力になる」というコメントが寄せられている。

 

ブロックチェーンから
スタートしたGarage

Garageは当初、ブロックチェーンの活用をターゲットに提供を開始した。これまで大手金融機関をはじめとした実績があるが、ブロックチェーンを狙いにした案件が目立つ。

「Garageをスタートさせた時期は、ちょうどブロックチェーンが注目され始めた時期に重なります。ブロックチェーンはまったく新しいテクノロジーなので、この技術への理解と、それを使ってどのようなアプリケーションを展開できるかの発想をつなげるには、デザインシンキングを軸にしたGarageの手法が最適であると考えました」(中鹿氏)

ブロックチェーンを目的にした場合、ワークショップの手法は通常と少し異なると指摘するのは、Garageでファシリテータを務めるデザイナーの藤枝久美子氏(グローバル・ビジネス・サービス事業本部 インタラクティブ・エクスペリエンス事業 クリエイティブ&デザイン)である。

「通常のデザインシンキングでは、ユーザーに対して、どのような素晴らしい体験を実現したいかをまず描き、そこから使用テクノロジーや実現手法を考えていきます。しかしブロックチェーンの場合は、あらかじめ利用する技術要素が決まっているという制約があります。そこでワークショップでは、ブロックチェーンという技術への理解に始まり、現在のビジネス状況や市場環境、ステークホルダーの整理、自社の強みと弱みなどを棚卸ししたうえで、『ブロックチェーンがもたらす変革』『自社で取り組むべきビジネス』『お客様にとって価値ある体験』の3つの視点でデザインシンキングを進めていきます」(藤枝氏)

 

藤枝久美子氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
グローバル・ビジネス・サービス事業本部
インタラクティブ・エクスペリエンス事業
クリエイティブ&デザイン

 

ちなみに最近では、Watsonなどブロックチェーン以外の分野にも、Garageの適用が広がっているという。「製品ありき」ではなく、「なぜ作るのか」「誰のために作るのか」「どんな問題を解決するために作るのか」というデザインシンキングのアプローチは、今後さまざまな領域で活用されることになりそうだ。

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IS magazine No.15(2017年4月)掲載

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