Home インタビュー-座談会 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む ~連載|ロゴスとフィシスの旅◎第15回

常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む ~連載|ロゴスとフィシスの旅◎第15回

by kusui

皆さん、こんにちは。日本を元気にするロゴスとフィシスの旅です。よい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。いよいよ平成が幕を閉じて、新しい元号になります。名実ともに新しい時代の幕開けの年にしたいですね。

さて、昨年は「デジタルトランスフォーメーション」という言葉が世界中を駆け巡り、テクノロジーの進歩が社会の変化を引き起こし、働き方や人生のあり方までも変えてしまうという議論が至るところで行われました。人財育成の世界でも、デジタルラーニングやマイクロラーニングによって、効率よく学ぶ方法が進められました。

一方で仕事や人生の意味を問う動きも出てきました。ビジネスの変革にはものの見方を変えることや、それによって行動を変えることが求められます。ビジネスパーソンの間で禅に対する関心が高まりつつあるのも、常識や思考の枠を外すことへの必要性を感じてのことかもしれません。

人口の量と質が示す
今後の日本

では、今後の日本はどのように進んでいくのでしょうか。

『なぜ日本は没落するか』(岩波新書)という刺激的なタイトルの本の著者である経済学者の森嶋通夫さんは、1998年の時点で2050年の日本を予測しています。ご専門の経済学の予測では期間が長すぎて変化が読み切れないため、もっと長期的に見通しがきく、人口の量と質の変化を土台においています。

人口の変化を基盤にして社会の動きを考える方法を「人口史観」と言うそうですが、そこで一番重要な役割を演じるのは、経済学ではなく教育学であるとしています。人口の量の変化と教育による質が決定されれば、その人たちでどのような経済を営み得るかを考えることができる、つまり土台の質が悪くなれば経済効率も悪くなるというわけです。

まず人口の量についてですが、ご存じのとおり2006年をピークとして日本の人口はかなりの勢いで減少しています。2050年の人口は森嶋さんが使った1997年の予測では1億5万人でした。2011年の予測では9515万人と、さらに500万人減ることになっています。いずれにしても価値創造の主体である労働人口が減り、消費の主体としての総人口も減るとなると、経済成長という目標を掲げることが難しくなります。

これまでは、「国民の幸せ」という目的を実現する手段として、経済成長を追求し続けてきました。しかし経済成長の大前提である人口の山は登りから下りに変わっています。1989年にピークを迎えた株価の山は、これを先取りしていたのかもしれません。実は人口の増加率そのものは1970年ごろからずっと減少していたのですから。

次に人口の質について見てみましょう。森嶋先生によると日本人の質を考えるうえで大きな影響を与えたのが、戦後の教育改革です。1946年を境にして、国への奉仕と儒教的規律に基づいた教育勅語による教育から、民主主義、個人主義、自由主義という180度異なる指針に基づく教育基本法による教育に切り替わりました。その結果、本来相反する2つの価値観による教育を受けた世代、つまり戦前教育派と戦後教育派が、企業という集団の中で同居することになったわけです。

同じような視点を持って、山口周さんが『劣化するオッサン社会の処方箋 —なぜ一流は三流に牛耳られるのか』(光文社新書)を書いています。そのなかで「各世代の人々が、各年代において、どのような社会的立場で過ごしてきたか」という図があるのですが、それを簡略化して森嶋通夫さんの戦前教育派、戦後教育派の世代を重ねてみたのが下の図表です。

 

組織を変えるための
解凍−混乱−再凍結

この図表は、横軸が戦後から現在までの「年代」を表し、縦軸が20代から60代までの「世代」を表しています。そして、それぞれの世代が各年代でどんな役割を担ったかを示しています。濃い色で塗られた世代は、まさに戦後復興から高度経済成長を支えたリーダーたちでした。現在でもリーダー論や人財教育で取り上げられる人たちのほとんどが、この世代に含まれています。一方、白地で示された世代は20代、30代をバブルの時代に過ごした人たちです。

戦後復興をリードし、高度経済成長を担った人たちは、家族主義や集団主義と言われる戦前教育で育った人たちでした。60年代後半から次々と入社してくる戦後派の人たちは、それとは逆の「個人の尊重」とか「平等の権利」などを教えられたわけですが、入社と同時にカイシャ第一、年功序列で組織されたタテ社会に馴染むよう、再教育をされました。経済優先政策による、「頑張って勉強していい学校に入り、いい企業に入って昇進すれば、豊かで幸せな人生を送ることができる」という大きなモノガタリに基づいて、これら2つの相反する集団を1つの目標に向かわせたわけです。

外国人からよく「日本の企業はなぜあんなに長い期間、新入社員研修を全員にやるのか」と不思議がられますが、こうして考えてみると、当時の新入社員研修は日本企業にとって、ある種の思想教育としてとても重要なものだったことがわかります。

所得倍増とか日本列島改造論、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどの掛け声とともに、その集団主義と経済拡大主義は日本経済を高度成長に導きましたが、バブルの蓄積と崩壊によって、この神話は崩れ去りました。そしてバブルの崩壊とともに戦前派世代は経営や政治の第一線から退場していきました。

組織論やリーダーシップ論で有名な心理学者のクルト・レヴィン(Kurt Zadek Lewin)は、組織の変化について次のように言っています。「ある思考の仕方や行動様式が定着している組織を変えていくためには、『解凍−混乱−再凍結』が必要である」と*1。

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*1 『社会的葛藤の解決と社会科学における場の理論1 社会的葛藤の解決』クルト・レヴィン著、末永俊郎訳、ちとせプレス http://chitosepress.com/books/

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この「解凍」は、それまでの組織の思考パターンや行動規範を「終わらせる」ということです。バブルとその崩壊を招いた昭和の思考や行動パターンを、私たちは平成という30年間で終わらせることができたのでしょうか。むしろピークの時代の頂上を振り返りながら、「経済成長=幸福論」のモノガタリを下山しているのではないでしょうか。それゆえに別の山を探すことができずにきてしまったのではないか、という疑問が残ります。

そう考えると元号の変わる今年、私たちがやるべきことは、下山しつつある「経済成長」の山に固執するのではなく、この山を捨てること、そしていかにして「成熟社会」という高原を作っていくか、ということではないでしょうか。

これまでの判断基準を
いったん捨てる

成長社会と成熟社会の違いは何でしょうか。成長社会では、企業が目指すものは「経済的な豊かさ」を実現する商品を作ることであり、昇給し出世することでした。それが幸福であると国民全員が信じていた社会です。一方、成熟社会ではモノや情報が溢れています。したがって「モノが溢れるほどの経済的な豊かさ」が必ずしも幸せに繋がらない社会です。成熟社会では人々が求めるものがそれぞれ違います。まさに戦後民主主義の基である、個人の尊重、平等な関係、多様な生き方や働き方を価値とする社会です。

成熟社会での幸せを求めるために、わたしたちはどうすればいいのでしょう。ある組織開発のコンサルティング会社では、世代別組織を作ってみてはどうかと提案しています。これまでの事業は50代以上の人たちに任せて、新しい事業を20代、30代の人たちがリードするわけです。スタートアップ企業の社長は30代が多いことを考えると、無理な話ではないと思います。40代、50代の方でも新規事業部門で働きたい場合、20代、30代の人たちのサポーターになるのはどうでしょうか。

2015年に「マイ・インターン」という映画がヒットしました。ロバート・デ・ニーロ扮する退職した元経営者が、スタートアップ企業の若手経営者を演じるアン・ハサウェイを、辛抱強くサポートする物語です。現実にはなかなか難しいと思いますが、最近は「サーバントリーダーシップ」というリーダーシップの取り方もさまざまな形で試行されています。さらに、ロバート・デ・ニーロが経験をもとに若い経営者をサポートするだけでなく、彼女から新しい感覚や生き方を学ぶという、「リバースメンタリング」もそこにはあります。

若手社員からデジタルビジネスとかアジャイルなビジネスモデルの提案があった場合、多くの50代、60代の経営者やリーダーは評価の仕方がわからないか、あるいは今までの事業と同じ尺度で判断しようとするのではないでしょうか。そのやり方では新規事業にはなり得ません。これまでの経験による自動的な判断はご法度です。新しいビジネスはこれまでの判断基準をいったん捨てるところから始める必要があります。つまり一緒になって話し合い、迷い考えるのです。

 

チャレンジする若手と
後押しするシニア

ここで1つ、「南岳磨瓦ナンガクマセン」という有名な禅の逸話をご紹介しましょう。

南岳という和尚が弟子の馬祖(バソ)を訪ねると、馬祖は熱心に座禅に励んでいました。南岳が「お前は何のために座禅をしているのか?」と尋ねたところ、「はい、仏になるために座禅をしています」と馬祖は答えます。

この答えを聞いて南岳は瓦を手にとって、おもむろに磨き始めました。

「師よ、何をなさっているのですか?」。戸惑う馬祖は尋ねます。
「これを磨いて鏡にするためじゃ」
「師よ、お言葉ながらいくら磨いても、瓦は鏡にならぬと思いますが」
「そうか。では座禅をすれば仏になるのかな?」
 南岳はさらにこういいます。
「座禅の姿が仏の姿ではないし、仏は常に同じではない」

これを聞いて馬祖は「醍醐を飲んだようにスッキリした」と言ったそうです。

この逸話には手段と目的についての考え方が示されています。座禅は禅にとってとても大切な修行ですが、それが「仏になるための手段」や「悟りを得るための手段」として捉えられている限り、もはや座禅を行っているとは言えず、それゆえその目的は達成されることはないのだと、南岳は馬祖に教えます。

ではどうするのか。座禅そのものが仏の行であり、人はそのとき、仏の行いを行っているわけです。何か別のものになろうとするのではなく、その人がその人としてあるべき姿を全うすることが仏であるということです。

瓦は磨けば磨くほど瓦になります。鏡になどなる必要はありません。馬祖も座ればそれだけ馬祖になり、それを人は仏になるというのでしょう。

経済成長だけが幸せになる手段ではありません。また幸せのための新しい手段を考えることが、目的を達成する道でもありません。南岳が馬祖に説いた「仏への道」は、「座禅」でもなく別の方法を探すのでもなく、自らの信じるところ、ありたい姿に向けて自分を磨くことです。

それぞれの世代がこれまで自分を作ってきた常識の枠を外してみること、そして自分がやっていることとやりたいことを見直したうえで、自己実現に向けて真剣に取り組むことが、私たちにとっての幸せであり、この国の新しいエネルギーの源になるのではないでしょうか。

新しい事業への取り組みには、新しいことにチャレンジしようとする若手と、それを後押しするシニアのどちらもが必要です。時代は変わります。ぜひ新しい元号の年に、幸せな事業を立ち上げるために、若手と一緒になって考えていきましょう。

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著者|片岡 久氏

株式会社アイ・ラーニング 
アイ・ラーニングラボ担当

1952年、広島県生まれ。1976年日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年アイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Associationfor Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。

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連載 ロゴスとフィシスの旅 目次

第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む

[IS magazine No.22(2019年1月)掲載]

 

 

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