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創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある|ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて◎第18回

 

 皆さんこんにちは、日本を元気にするロゴスとフィシスの旅、今回は題名に沿って、世界をロゴスとして論理的に理解することと、生成し変化する自然として理解することについて、考えながら散策しましょう。

 

猫は絶対音感で
意味を捉える

 

 脳科学者の養老孟司さんは脳と人の起源に関する文章で、感覚と意識についてこんな話をしています。

 まずは感覚ですが、たとえば音感について。

 耳には蝸牛というカタツムリに似た器官があって、その奥の膜の上に有毛細胞という感覚細胞があり、並列に並んでいる毛の一部が揺らされることで音を認識します。この有毛細胞の毛は長さや並び方や数が違っていて、周波数の違いによって共振する場所が違うのだそうです。つまり同じ周波数の音を聞くと同じ場所が振動するわけですから、同じ音として認識できるのです。

 この構造は動物も人間も同じで、これまでに確認されたすべての動物は、みな絶対音感をもっているのだそうです。同じ周波数で同じ場所が振動する仕組みであれば、絶対音感になるのは当然ですね。

 道理でうちの息子のところに住んでいる猫は、いくら私が声をかけても、息子の言葉に応えるときのような甘えた声を出さないわけです。彼女もちゃんと音程の違いを絶対音感で聞き分けているんですね。どんなに私が息子と同じ喋り方で「可愛いね」とか「ご飯だよ」と声をかけても、感覚情報が違うので同じ意味だとは理解してくれないわけです。

 一方で、人間はほとんどが絶対音感ではなく、相対音感です。もともと動物なので絶対音感があったはずなのに、なぜそうではないのでしょうか。

 感覚よりも意識を優先させているからだというのが、養老さんの説です。言葉がわかるためには、音程が違っても同じ言葉として理解されないと困ります。ソプラノ歌手が「地球は丸い」と言っても、テノール歌手が「地球は丸い」と言っても、音程によって意味が変わるわけではなく、同じ意味であると理解することができないと、ややこしいことになります。聴覚から伝わる音程やテンポが違っても、それに影響されないように、意識が働いています。

 また視覚で考えると、赤いペンで書いた「青」という字は、やっぱり青と読むわけです。視覚からは赤い色の光の波長情報が脳に入ってきても、意識はそれを無視して、同じ形をしている「青」という字として認識するわけです。

 

感覚は「違い」を捉え
意識は「同じ」をみる

 

 そう考えると、感覚情報は外界を「違い」として捉える機能を果たしているのに対して、意識は世界を「同じとみる」という機能を果たしていることになります。そして感覚器官からの「違い」を伝える情報を無視して、さまざまな情報を総合して「同じ」であると認知することが、意識の働きであり、人間と動物を分けているものだと言えます。

 この意識の働きによって、昨日の私と今日の私は同じ私であるという、自己同一性も保たれるわけです。そもそも人間の細胞は、およそ7年ですべて入れ替わると言われています。私などもう10番目の私なのですが、赤ん坊のころとどんなに風貌が変わろうと、「見た目はどんなに変わっても、私は変わらない私である」と思えるのは、違いを捨てて同じであると認識する意識の働きによります。

 どうも17世紀のデカルトのあたりから、感覚器官よりも意識のほうが高等であると言われてきたようです。感覚情報は変化を捉えますから、時々刻々変わります。それに比べて意識は同じであることを求めますから変わらない、つまり真理であるとか、正しいことを認識するのは意識であって感覚ではない、感覚は人によっても違うし信用できないものだということでした。

 同じであることを認知するためには、別々のものが同じカテゴリに属すると言えるための、共通項を見つけることが必要です。同じカテゴリに属するものであれば、個々の違いを捨てて、同じものであると認識できます。

 たとえば、色も形も個々に違うりんごの集まりがあります。それらは味も色も違いますが、「りんご」として分類されることで同じ仲間になりました。そしてテーブルにある3つと2つのりんごは、数字グループという別の次元で見ると、隣の部屋にある5個のりんごの集まりと同じになるわけです。「りんご」という言葉や3や5という数字そのものは、実体があるわけではなく、五感で捉えることができないものです。五感で捉えた個々の実物の違いを、感覚情報として受け入れつつ、意識が共通項を見つけて分類して、抽象化することで、同じものだと認知しています。感覚は色や形や周波数の差異を見出して、違いを認知し、意識は共通項を見つけ、抽象化して同一であることを認知するわけです。

 このように私たちは感覚器官と意識を使って、2つの方法で世界を認識しており、感覚器官は世界を違いとして認識し、意識は世界が同じと認識します。そして意識が同じと認識するために、意識を感覚の上位においている。この意識が認識する、異なるものの同一化の仕方によって、自然科学ではさまざまな法則が発見されています。

 また、社会では人種や性別が異なっても、基本的な人権は同じであるとする考え方が支持されて、民主主義という近代国家の理念が作られてきました。違いを乗り越えて同じであるところを見出すことによって、人類は進歩してきました。

 そう考えると私たちの歴史は、この世界の認識の仕方について、自然の活動や個々の存在が、時々刻々違っていることを認知する感覚の時代から、それらを抽象化することで同じであると認識する意識の時代へと移行していく「認知の歴史」であると言えるかもしれません。

 

新しいアイデアや分類は
違いの発見から始まる

 

 ここにきて世界は、今まで以上に変化しています。さっきと今は今まで以上に違います。よりよい未来を創造するには、これまで正しいと言われていたロジックや、意識が作り出した世界の解釈を一度棚上げにして、変化の様子を観察する必要があります。それには感覚器官からの情報が大切、つまり変化を捉える情報処理をしっかり行うことで、変化に気づくことが今だからこそ大切です。

 これからは、デジタル化による感覚情報とロジックのさらなる進化への対応が必要です。IoTによって人間の感覚器官が代替され、カメラや電子デバイスによる膨大な感覚情報がクラウド上に収集されつつあります。それらの記録、編集、再現の能力は、人間をはるかに上回ります。しかもアナログ機器による情報処理と違って、音楽情報も映像情報も同じフォーマットで扱うことができます。

 そうなるとアナログ時代にはできなかった、脳の意識活動に近い働きができる可能性があります。つまり五感からの膨大な文字や音や映像などの差別化情報を、同じフォーマットの情報として解析して、分類、同一化の処理を施しながら人間にとっての意味や解釈を提供できるようになるかもしれません。機械による認知の歴史が始まりつつあります。

 そのときに生まれたロジックが人間にとってよいものなのかどうか、これを評価するには、「人間の尺度」で評価するための感覚を磨き続ける必要があります。AIに使われることなく、AIを人間のためのツールとして使いこなすうえで大切なのは、AIの選択やコメントに違和感をもつことができることです。AIだから正しい推論をする、というのは人間の大いなる偏見ですね。

 ヒューマン・スケールという言葉がありますが、感覚器官の「違い」に関する情報こそ、人間が人間としてよりよく生存するうえでの大切な情報です。「あれっ?」と思ったら、「あなたはどこからそう思いましたか」という問いをAIやロボットたちに投げかけることが大切です。

 余談ですが、ここでの質問で「どこから」と聞くのは意味があります。「あなたはなぜそう思いましたか」と聞くと、ロジックの展開が始まります。ロジックが一般論から説き起こされると、すでに常識となっている考えの単なる展開であったり、証明済みの理論の再証明に終始して、結局目の前の違和感は残りつつも、そう理解するしかなくなる可能性があります。「どこからそう思いましたか」と問うことで、私にも認知できる目の前の事実や相手の言葉など、具体的な感覚情報として共有できるものから説明がスタートします。そうすると、違和感の原因を見つけられる可能性が高くなります。

 そして、新しいアイデアや新しい分類を思いつくきっかけは、違いを認識するところにあり、それが私たちの思考や感覚のレベルを引き上げてくれるトリガーとして重要です。違いに気づくことが脳に違和感を覚えさせて、違和感を解消するために脳を働かせます。

 新しい考えというのは、当たり前ですが今は頭の中に存在しません。新しいことを思いつくには、一方では問いがあり、他方で視覚や聴覚など情報が問いを解くトリガーとなります。アルキメデスが王冠の体積を測る方法を思いついたのも、風呂のお湯の変化という、「違い」の視覚情報に気づいたからです。ひょっとしたら、ザーッとこぼれるお湯の音だったかもしれません。違いについてとことん考えることが、問いを解くヒントをもたらします。「神は細部に宿る」とともに、「神は差異に宿る」のだと思います。

ラーナビリティ・トレーニングが
注目されている理由

 デジタル時代に賢いユーザーとしてAIを使いこなすために、そして人間らしくよりよい生活を送り、新しいアイデアや気づきを得るためには、これまで意識よりも低く見られがちだった感覚器官の働きに焦点を当てる必要がありそうです。

 現代人は動物や古代人に比べて、より安全で理知的な世界に生きているので、変化に反応することに鈍感になっています。しかも感覚器官と意識の働きを別々の機能として捉えすぎたようです。これまでの常識や思い込みによって、恣意的な解釈がされがちです。また「これは前に起きた事故と同じようだ、だったら原因はこれだ」などという意識が働きがちです。現実を素直に感覚情報として受け止めることがとてもしづらい時代になっています。

 研修の世界でも、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングなど、感覚情報は自明のこととして、そこから先のロジックの展開や、証明の仕方について注目してきました。目的や問題が明確な場合には、論理的な展開を同一化の原理をもとに解いていくことが、とても重要で価値のあることですが、より複雑で不確実性が高くなっている現在、むしろ議論の前提である現在をまずどう解釈するか、どう認識するのかが問われます。

 現状を捉える感覚を鍛え、脳に差別化の作業を行わせるために、最近ではラーナビリティ・トレーニングが人気となっています。たとえばお客様の提案依頼書をよく読み込まないで解釈し、自分たちに都合のよいシステムを提案したりしていないでしょうか。議論する相手を観察し、相手の言葉を吟味する前に、頭の中で立てた仮説を元に相手を説得しようとしていないでしょうか。問いの立て方のヒントは、違いの発見にあります。

 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛えることが必要です。「人間であるとは、感覚よりも意識を優先することである」との養老先生の教えと異なり、動物的な感覚をまず鍛えることになりますが、同一化の前に世界を感覚で捉え直す試みは、偉大な昆虫博士である先生にもおそらく賛同していただけると思います。ぜひご一緒に始めましょう。

 

 

 


著者

片岡 久氏

株式会社アイ・ラーニング 
アイ・ラーニングラボ担当

1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。

 

[IS magazine No.27(2019年9月)掲載]

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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて

第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感(10月26日公開)
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている(10月27日公開)
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと(10月28日公開)
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力(10月29日公開) 
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練(10月28日公開)
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある(10月27日公開)
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか

 

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