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技術革新と心と身体と環境の関係|ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて◎第4回

 

 皆さん、こんにちは。日本を元気にする旅も第4回となりました。

 先日、『イノベーションのジレンマ』(*1)でおなじみのクレイトン・クリステンセン教授の講演と、NEC遠藤信博社長や三菱重工の大宮英明会長とのパネル討論を至近距離で聞かせていただきました。ちょうど三菱のリージョナル・ジェット機MRJが初飛行に成功した直後だったので、MRJこそまさに「破壊的イノベーション」の実例であると話題になっていました。ご存じの方も多いと思いますが、「破壊的イノベーション」とはこんなストーリーです。

 一般に優れた商品を持つ優良企業は、成長を目指して合理的な判断を行い、その製品の機能を拡大したりスピードや性能を上げたりして「持続的イノベーション」を続けます。その間、あるとき少人数だけれど元気のいい企業が出現します。その製品は単機能でスピードも遅いが、とにかく格段に安いというコンセプトで、今まで買えなかった人や企業を中心に新たな顧客をつくります。従来の企業から見ると、利益率が悪すぎて開発の対象にはなりません。その間新興企業は機能の拡張や性能の強化によって顧客層を拡大するとともに、従来の市場をも駆逐してしまう、というのが「破壊的イノベーション」と言われるものです。磁気ディスクやPCの歴史とともにクリステンセン教授は、米国市場でのトヨタ・カローラやホンダ、そしてソニーなどを取り上げていました(図表1)

 

 

 この「破壊的イノベーション」を起こす日本企業のものづくりの原点には、小型化への執念とも言うべき、より緻密なものを作り出す技術を尊ぶ精神があります。工作機械を駆使して超精密なものを作り上げるミクロン単位の加工技術を、町工場の職人さんがもっています。まさに下町ロケットの世界です。それは「知恵と五感のものづくり」といわれ、図面や指示書には書けない、人から人へ伝承される技術に支えられたものです。もちろん、手づくりといっても、研磨機やさまざまな機械を使うわけですが、自動化してしまうのではなく、ミクロン単位の精度を、機械の調子と個々の材料の個性を探りながら実現しているわけです。これを「身体に入れたノウハウ」と言う人もいます。つまり、人間の感覚と機械と材料と工場が一体になった製造技術ということです。

 このノウハウは、図面に描いたり文字にして残すことがとても困難です。それは、技術が普遍的でなかったり、論理的でなかったり、計算できなかったりするために、文書化できないことがあるからです。この技術を磨き伝えられるのは、ものの設計と製造が一体となった製造現場においてのみです。それだけに設計、開発、生産体制を効率的に実現した大企業では伝承されにくく、町工場で直接指導し訓練を積みながら脈々と受け継がれているわけです。

 敗戦後、日本の名機であったゼロ戦の強さを分析しようと、米国の政府関係者やグラマンの技術者が日本にやってきてゼロ戦を解体し、設計図と比べながらその機能の調査をしたそうです。すると設計図には描いてなく、何のためのものかどうしてもわからない仕組みがありました。これは何だと議論になったところ、その調査団の中にいた技術将校の1人が戦前、京都の西陣で織り機の研究をしたことがあり、それが織り機で使われているものと同じであることを発見したそうです(*2)

 つまり、当時の最新鋭戦闘機の一部に、400年の歴史をもつ西陣の織物技術のノウハウが活かされていたことになります。しかもそれは図面に表すことができず、また何のために必要なのかもわからないノウハウだったのです。この話には続きがあって、西陣のマニュファクチャー的な方法は、日本の捕鯨と鯨の解体に関わる技術、すなわち鯨体処理、鯨油採取の一貫処理技術を転用したものとのことで、ゼロ戦に組み込まれていたモジュールも、ひょっとしたら鯨解体の技術の一部かもしれないのです。

問題解決のリソースは
環境や身体に沁み出す

 

 これに似たような話が、コンピュータの半導体チップの自動設計の世界でもあります。それは、数学者の森田真生さんが紹介(*3)しているのですが、「進化電子工学」というイギリスの大学の研究の中で行われた実験です。課題は、異なる音程の2つのブザーを聞き分けるチップを作ることでした。人間がチップを設計するのはそれほど難しくなく、数百の単純な回路を使って実現できるそうです。この設計を人手を介さずコンピュータの人工進化の方法だけでやってみたところ、約4000世代の進化ののち、無事にタスクをこなすチップができたということです。

 ところがこのチップを調べてみると、100ある論理ブロックのうち37個しか使っていませんでした。これは人間が設計した場合に最低限必要とされる数を下回っていて、普通に考えると機能するはずがないものでした。さらにこの37個のブロックのうち、5個はほかのブロックとつながっていないこともわかりました。つながっていない孤立した論理ブロックは機能的にはどんな役割も果たさないはずです。ところがこれらの1つを取り除くと、回路全体が動かなくなってしまったのです。つまり、それも何かの役割を果たしていたわけです。

 この奇妙なチップを詳細に調べた結果、実はこの回路は電磁的な漏出とか磁束という、普通はノイズとしてエンジニアによって排除される作用を、巧みに利用していたのです。これらのノイズが回路基盤を通じてチップからチップへと伝わり、タスクをこなす機能的な役割を果たしていました。つまり、チップはデジタルな情報のやりとりだけでなく、アナログの情報伝達経路を進化的に利用していたのです(図表2)

 

 

 この例は、人間ではないコンピュータが、機能を実現するための設計情報と与えられた電子回路部品だけでなく、ノイズでも何でもリソースとして使うことで、目的達成の最適解を見つけたということです。逆に考えると、ものの設計と製作において完成品の材料となるものは、部品と設計情報だけでなく、現場の温度や塵の具合などの環境や、製作をする人間の身体もリソースとして考える必要があるということです。

 そのことを森田さんは「問題解決のためのリソースはその環境や身体に“沁み出し”、“漏れ出す”のだ」と言っています。製造やテクノロジーの世界では馴染まない言葉ではありますが、先ほどの町工場の五感によるものづくりや何のためにあるのかわからないゼロ戦のモジュールなどは、まさにリソースが環境や身体に“漏れ出し”ているのではないでしょうか。

 この、リソースが環境に“漏れ出す”とか“沁み出す”というのは、認知科学を代表する哲学者のアンディ・クラークの説で、クラークは「認知は身体と世界に漏れ出す(Cognition leaks out into body and world.)」とも言っています。世界を理解し判断するという認知機能は「脳」に閉じ込められていたという歴史があり、そこからの解放を目指して、身体に“漏れ出す”という表現を使っているようです。日本のものづくりでは、身体の感覚や機械の具合を織り込むのは当たり前で、むしろそれを前提として発展してきたといえます。そしてそれが「現場、現物、現実」という言葉で表されているのです。

 

マグロは水の抵抗を推進力に活かす

 

 さらにもう1つ、アンディ・クラークが紹介している話があります。1995年にMITでマグロのロボットを作るプロジェクトが立ち上がったそうです。プロジェクトの目的は最大時速80kmになるマグロの「泳法」の秘密を解明して、潜水艦や船の設計に活かそうというものでした。その過程でわかったのは、マグロは尾びれで大小の渦や水圧の勾配を作り出し、その水の流れの変化を推進力に活かしているということでした。ふつうは船や潜水艦にとって、海水は推進のための抵抗でしかないわけですが、マグロは周囲の水を、速く泳ぐためのリソースとして積極的に使っていました。

 ここでも前に進むための運動で生じた海水の乱れを、克服すべき障害と捉えるのではなく、推進力を増すための具体的な環境、リソースとして捉えるという見方ができます。アンディ・クラークの著書である『現れる存在』(*4)の副題は、「脳と身体と世界の再統合」となっています。認知科学といわれる分野の研究では、よりよい世界を創っていくために、脳の働きや心と脳の関係を探究するだけではなく、身体を通じた環境との関係や、環境と心の関係を作り直すことが重要であるとしています。

 

本田宗一郎が見つめる「ものづくりと心」 

 

 冒頭のクリステンセンの「破壊的イノベーション」で例に出たホンダの本田宗一郎氏が、このことを60年前に社員に語りかけています。少し長いのですが、まさに技術革新と心と身体と環境の関係の大切さを表現しているので、そのまま引用します。

 一般に製品の改良されないのは、技術の未熟に原因があるように信じられているが、私は、この頃技術よりもその工場に働く人の徳義心が欠けていることに、より多くの原因があることを知つた。

 例えば、或る会社の自動車は、今以てガタガタのジョイントをそのままにして直そうとしないが、ガタガタしておることは前から気付いており、又技術的にも充分改良できる力を持ちながら、やはり改良しない。之れは改良するだけの熱意??自分の会社の製品を買つて下さるお客様に対して、できる限りのサービスをしようという徳義心に欠けているのだ。近代工業では、大衆の気持を察し、大衆が喜び、大衆が愛する製品を作る会社のみが大衆に愛され繁栄する。そしてこのことから、自分の仕事に対する誇りも生まれるし、自尊心もできる。

 もし、真にお客様に対するサービスの精神、即ち従業員としての徳義心を持つているならば、どのように苦心をしてでも工夫をし、改善してお客様の満足を得るはずだ。お客の満足を得ないのは、満足して頂こうという心がないからだ。仕事の根本は、やはりその人の徳義心にある。私は、以前から「工夫発明は、苦しまぎれの智慧である。」といつたが、高い徳義心は、必ず優れた創意工夫を生むものである。

 従業員諸君に、私が「工場を綺麗にするように」というのは、外面を繕うためではない。工場を汚くし、不整理、不整頓のままにしておいて顧みないような心からは、決して優れた製品は生まれない。工場は全従業員の生活する処だ。ここを整えようという心のない人に、優れた製品が作れるはずがない。心はそのまま製品に通ずるものだ。

 創意工夫は技術だけではない。その職場々々で、仕事に対する高い徳義心のあるところには、必ず優れた創意工夫が生まれ、よい改良があり、進歩がある(*5)

 イノベーションを起こして世界に挑戦してきた先人の言葉は、60年後の今、改めて注目すべきものになりました。日本のものづくりの原点は、ルールの標準化ではなく“心”であり、心が材料や道具と通い合うことがそのまま製品に通じて、製造工程の瞬間瞬間に最高の品質をつくり出していたのではないでしょうか。人とものが“心”でつながっていたのです。

 今、先進的な企業では、IoTやM2M(Machine to Machine)といわれる情報技術によって材料と機械や機械どうしのコミュニケーションができつつあります。また製造設備の稼働状況や工場の稼働環境もデジタル・データで収集することで、膨大な情報を基にした解析が可能になります。さらにコグニティブ・コンピューティングの進化によって、人間の無意識や熟練の感覚による判断を組み込むことができるようになりつつあります。IoTとAIがつながることで、直感に近い判断や感覚的な選択といわれるものも、いずれデジタル社会で自動的に行われる日がくるでしょう。

 そのためにも未来に向けて、日本人の得意技であったはずの自然の偉大さを尊び、道具や素材を大切にする気持ちや、五感を働かせながら機械を操るものづくり、整理整頓、清潔第一の職場環境の重要さについて、改めて見直すことが必要です。コグニティブ・イノベーションの原点として、日本のものづくりについて、もう一度紐解いてみたくなりました。

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● 参考文献

(*1)『イノベーションのジレンマ ー技術革新が巨大企業を滅ぼすとき 』クレイトン・クリステンセン著、翔泳社(→本の情報へ)

(*2)「がんばろう、日本の野生。」中沢新一・内田樹・平川克美 対話放談 講演、ラジオデイズ http://bit.ly/logos04_02

(*3)『数学する身体』森田真生著、新潮社(→本の情報へ)

(*4)『現れる存在』アンディ・クラーク著、NTT出版 (→本の情報へ)

(*5)「ホンダ7年史 社長言行集」社報1号、昭和28年6月 http://bit.ly/logos04_01

 


著者

片岡 久氏

株式会社アイ・ラーニング 
アイ・ラーニングラボ担当

1952年、広島県生まれ。1976年に日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年にアイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Association for Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。

 

[IS magazine No.9(2015年1月)掲載]

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ロゴスとフィシスの旅 ~日本の元気を求めて

第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ
第14回 うまくコントロールしたい「アンコンシャス・バイアス」
第15回 常識の枠を外し、自己実現に向けて取り組む
第16回 人生100年時代に学び続ける力
第17回 ラーナビリティ・トレーニング 「私の気づき」を呼び起こす訓練
第18回 創造的で人間的な仕事をするには、まず感覚を鍛える必要がある
第19回 立ち止まって、ちゃんと考えてみよう
第20回 主体性の発揮とチーム力の向上は両立するか

 

 

著者|片岡 久氏

株式会社アイ・ラーニング 
アイ・ラーニングラボ担当

1952年、広島県生まれ。1976年日本IBM入社後、製造システム事業部営業部長、本社宣伝部長、公共渉外部長などを経て、2009年に日本アイ・ビー・エム人財ソリューション代表取締役社長。2013年アイ・ラーニング代表取締役社長、2018年より同社アイ・ラーニングラボ担当。ATD(Associationfor Talent Development)インターナショナルネットワークジャパン アドバイザー、IT人材育成協会(ITHRD)副会長、全日本能率連盟MI制度委員会委員を務める。

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連載 ロゴスとフィシスの旅 目次

第1回 世界を主客一体として捉える日本語の感性をどのようにテクノロジーに活かすか
第2回 「Warm Tech」と「クリーン&ヘルス」という日本流技術の使い方はどこから生まれるか
第3回 デジタル社会では、組織・人と主体的に関わり合うエンゲージメントが求められる
第4回 技術革新と心と身体と環境の関係
第5回 忙しさの理由を知り、「集中力」を取り戻す
第6回 自分が自然(フィシス) であることをとおして、世界の捉え方を見直す(8月3日掲載予定)
第7回 生まれてきた偶然を、必然の人生に変えて生きるために(8月3日掲載予定)
第8回 人生100 年時代 学び続け、変わり続け、よりよく生きる(8月10日掲載予定)
第9回 IoTやAIがもたらすデジタル革命を第2の認知革命とするために(8月10日掲載予定)
第10回 デジタル化による激しい変化を乗り切る源泉をアトランタへの旅で体感(8月10日掲載予定)
第11回 「働き方改革」に、仕事本来の意味を取り戻す「生き方改革」の意味が熱く込められている(8月17日掲載予定)
第12回 イノベーションのアイデアを引き出すために重要なこと(8月17日掲載予定)
第13回 アテンションが奪われる今こそ、内省と探求の旅へ

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